四国ツーリング
事の始まりは2014年10月末。
9年半も勤めた会社を退職する事となり、退職日まで残すところ後1ヶ月少々となったある日の夜。
某所から帰宅するべく小雨の中をバイクで走行し、自宅マンション目前で曲がると駐輪所というところに差し掛かっていた。
小雨といえど30分弱も走っており、すでに服も体も濡れていたのでさっさと家に帰りたかった私は駐輪所に向かうためにスピードを落とし軽くバンクを付けてカーブに進入する。
しかし不幸な事に私がカーブに進入した途端にどこからともなく猫が飛び出してきたのだった。
今のままでは確実に猫を轢いてしまう。
一瞬このまま進んでしまうか?と思ったのだが、いくらスピードを落としているとはいえ雨で濡れたスリッピーな路面。
そしてバイクにもいくらかのバンク角を付けている。
もしあの猫を轢いてしまったら…、いやこの状況ではブレーキをかけただけでも転倒する可能性は決して低くない。
だからといってこの猫を轢いたとしたら私自身目覚めが悪いし、ずっと猫を轢いたという事実に後悔してしまうだろう。
一か八かでブレーキをかける。
焦りが出てしまったのだろうか。
いつもより強めにかけてしまったブレーキは無常にもタイヤがロックした状態に陥り、雨に濡れた路面に立て直すだけのグリップなどある訳もなくそのまま転倒してしまった。
倒れる瞬間、スローモーションとなった世界で轢きそうになった猫を見るとその顔には驚愕の表情が張り付いていた。
あぁ猫でもそんな表情するんだなと冷静な感想がその世界で確認した事だった。
大きな音を立てて転倒したが最初に思ったのはあの猫は大丈夫かという事。
驚きに固まっていた猫の方を見ると走り去る後姿だけが見える。
所詮は野良猫よ…とバイクに足を挟まれた形で転倒した自分を慰める事しか出来なかった。
その後は知っての通り、右足親指第二関節粉砕骨折と右足人差し指の骨が縦に割れるというそれなりの代償を払う事となった。
全治半年の負傷を負ったがその後、元気に何食わぬ顔で歩いているあの猫を発見し、あの時轢いてしまい自分勝手な後悔に悩まされるぐらいならこの程度で良かったとしみじみと感じる。
それは今でも変わらない自分勝手な満足感である。
バイクの方は車検が約2ヶ月後に迫っていたが私自身が粉砕骨折で動けず仕事も退職する事に変わりが無い。
だからと言って怪我の為に就活する事も出来ない状況もあり思い切って放置する事にした。
10月末に粉砕骨折し、歩けるようになったのが翌年3月。
しかしまだ右足を庇いながら歩いており、完治と呼べるようになったのが4月末から5月にかけてとかなりの時間を費やした。
確かに完治までに時間は費やしたがある程度回復した状態で始めていた就活のお陰で次の就職が決まっており、仕事が落ちいたらバイクの車検を出そうという精神的余裕も出てきていた。
そして半年放置してたバイクを改めて見たのだが…。
そもそも転倒した時点でカウルをはじめとする外装・ミラーやハンドル周りの傷や破損は覚悟しており走行に問題なければ直さなくてもいいとまで考えていたのだが時間が経ってから改めて確認するとフレームが折れてるのを発見してしまったのだった。
こんな大きな破損を気が付かなかったとはやはり当時は冷静ではなかったのだなと思い知らされる。
幸いフレームといってもメインフレームではなく、メインフレームに接続してブレーキやステップを取り付けるサブフレームだった。
もちろんそこが折れているので後輪のブレーキパット部、ブレーキペダル自体も脱落しかけていた。
接続しているという事は取り外しが可能。さらには部品が設定されているはずと思い部品の値段を検索する。
折れたフレーム自体はおおよそ1万前後の値段だったが、これに工賃が発生する。しかもここまでダメージがあると他にどこにダメージがあるか分からない。
こうなったら車検のときに徹底的に調べて貰わないと怖くて乗れない。
これは思ったよりも修理費がかさんでしまうなと、その時はただそれだけの感想しかなかった。
次に見付かった仕事は私の想像以上に過酷だった。
プリンタやPCの修理という前職と変わらない仕事を選んだのだが、基本給が低く設定されている代わりに修理件数に応じた歩合が付くという給料体制で、その会社自体が2次請けで各拠点の事務所も元請の各拠点内にあるという会社。
仕事の振り分けは元請の会社が行うのだが、なまじ経験者で且つしばらく仕事をしているとどんな形であれその日の内に終わらせてくる実績を積み重ね、元請の会社にも認められ始める。
認められるのはいい事なのだが、同期と比べ時間のかかりそうな修理や面倒なユーザーばかり回され思うように件数が稼げない。
件数が稼げないと歩合に反映されない。
が、仕事内容は面倒な案件ばかりになってくる。
それでいてリプレースの話を定期的に持ってくる。
元請からしたらこんな使い勝手の良い人材はいない。
元請の取締役がわざわざ本社に連絡して私の事を評価してると伝えてくれるのはありがたかったが、元請の評価がいくら上がろうが私の収入が上がる訳などない。
気が付けば骨折が完治するまでに著しく減っていた貯金もついには底をついてしまった。
そんな状況でバイクの事まで頭が回るはずもなく、気が付けばバイクを放置して1年半も経とうとしていた。
さすがにこれは自分自身が持たないと感じたので退職を申し出て無事退職。
自分の所属している会社からみたら私という社員は売り上げに全く貢献していなかった社員。
元請の会社から見たら使い勝手のよい社員。
会社には一切引き止められなかったが元請の会社には取締役や支店長から引き止められたのは皮肉でしかない。
前職の先輩の紹介で次が見付かっていたが入社前に揉めて内定取り消しなどを経て今の会社に入社する事が出来た。
細かい部分で見たら土曜日が隔週だったりと少し引っかかったりするが今までと比べたら遥かに恵まれた環境にある会社。
入社してしばらくして安定してきた時に最初に湧き出たのはバイクに乗りたいという感情だった。
すでにバイクで転倒してから2年の月日が過ぎ去っている。
その感情が芽生えた時に大型バイクの免許取得も頭を過ぎったがまずはバイクの修理。
しかし2年も放置してしまったバイクだ、車検や修理の事など色々と考慮し出した結論は買い替えた方が安いという事だった。
そこからはCBR400にするかninja400にするか悩んだが奇しくもどちらもマイナーチェンジする時期。
個人的に憧れたバイクはCBR600Rなのだが、修理ではなく買い替えを選択したことにより大型バイクの免許取得は選択肢から外していた。
今考えれば何を焦っていたのかとは思うが9月というのは今すぐにバイクを買えばバツーリングシーズンにギリギリ間に合うという時期。
今年中にバイクに乗りたいという気持ちが焦りを生んでいたのだろう。
購入する前にどちらもマイナーチェンジが発表されたがCBRは生産工場がある熊本が地震の影響で納車時期が分からない。
そしてninja400Rをしっかり乗ってあげる事が出来なかったという無念もあり、2017年モデル、オレンジ色のninja400を購入するに至った。
2018年モデルでフルモデルチェンジするのではないかという話も聞こえてくるのだが。
9年半も勤めた会社を退職する事となり、退職日まで残すところ後1ヶ月少々となったある日の夜。
某所から帰宅するべく小雨の中をバイクで走行し、自宅マンション目前で曲がると駐輪所というところに差し掛かっていた。
小雨といえど30分弱も走っており、すでに服も体も濡れていたのでさっさと家に帰りたかった私は駐輪所に向かうためにスピードを落とし軽くバンクを付けてカーブに進入する。
しかし不幸な事に私がカーブに進入した途端にどこからともなく猫が飛び出してきたのだった。
今のままでは確実に猫を轢いてしまう。
一瞬このまま進んでしまうか?と思ったのだが、いくらスピードを落としているとはいえ雨で濡れたスリッピーな路面。
そしてバイクにもいくらかのバンク角を付けている。
もしあの猫を轢いてしまったら…、いやこの状況ではブレーキをかけただけでも転倒する可能性は決して低くない。
だからといってこの猫を轢いたとしたら私自身目覚めが悪いし、ずっと猫を轢いたという事実に後悔してしまうだろう。
一か八かでブレーキをかける。
焦りが出てしまったのだろうか。
いつもより強めにかけてしまったブレーキは無常にもタイヤがロックした状態に陥り、雨に濡れた路面に立て直すだけのグリップなどある訳もなくそのまま転倒してしまった。
倒れる瞬間、スローモーションとなった世界で轢きそうになった猫を見るとその顔には驚愕の表情が張り付いていた。
あぁ猫でもそんな表情するんだなと冷静な感想がその世界で確認した事だった。
大きな音を立てて転倒したが最初に思ったのはあの猫は大丈夫かという事。
驚きに固まっていた猫の方を見ると走り去る後姿だけが見える。
所詮は野良猫よ…とバイクに足を挟まれた形で転倒した自分を慰める事しか出来なかった。
その後は知っての通り、右足親指第二関節粉砕骨折と右足人差し指の骨が縦に割れるというそれなりの代償を払う事となった。
全治半年の負傷を負ったがその後、元気に何食わぬ顔で歩いているあの猫を発見し、あの時轢いてしまい自分勝手な後悔に悩まされるぐらいならこの程度で良かったとしみじみと感じる。
それは今でも変わらない自分勝手な満足感である。
バイクの方は車検が約2ヶ月後に迫っていたが私自身が粉砕骨折で動けず仕事も退職する事に変わりが無い。
だからと言って怪我の為に就活する事も出来ない状況もあり思い切って放置する事にした。
10月末に粉砕骨折し、歩けるようになったのが翌年3月。
しかしまだ右足を庇いながら歩いており、完治と呼べるようになったのが4月末から5月にかけてとかなりの時間を費やした。
確かに完治までに時間は費やしたがある程度回復した状態で始めていた就活のお陰で次の就職が決まっており、仕事が落ちいたらバイクの車検を出そうという精神的余裕も出てきていた。
そして半年放置してたバイクを改めて見たのだが…。
そもそも転倒した時点でカウルをはじめとする外装・ミラーやハンドル周りの傷や破損は覚悟しており走行に問題なければ直さなくてもいいとまで考えていたのだが時間が経ってから改めて確認するとフレームが折れてるのを発見してしまったのだった。
こんな大きな破損を気が付かなかったとはやはり当時は冷静ではなかったのだなと思い知らされる。
幸いフレームといってもメインフレームではなく、メインフレームに接続してブレーキやステップを取り付けるサブフレームだった。
もちろんそこが折れているので後輪のブレーキパット部、ブレーキペダル自体も脱落しかけていた。
接続しているという事は取り外しが可能。さらには部品が設定されているはずと思い部品の値段を検索する。
折れたフレーム自体はおおよそ1万前後の値段だったが、これに工賃が発生する。しかもここまでダメージがあると他にどこにダメージがあるか分からない。
こうなったら車検のときに徹底的に調べて貰わないと怖くて乗れない。
これは思ったよりも修理費がかさんでしまうなと、その時はただそれだけの感想しかなかった。
次に見付かった仕事は私の想像以上に過酷だった。
プリンタやPCの修理という前職と変わらない仕事を選んだのだが、基本給が低く設定されている代わりに修理件数に応じた歩合が付くという給料体制で、その会社自体が2次請けで各拠点の事務所も元請の各拠点内にあるという会社。
仕事の振り分けは元請の会社が行うのだが、なまじ経験者で且つしばらく仕事をしているとどんな形であれその日の内に終わらせてくる実績を積み重ね、元請の会社にも認められ始める。
認められるのはいい事なのだが、同期と比べ時間のかかりそうな修理や面倒なユーザーばかり回され思うように件数が稼げない。
件数が稼げないと歩合に反映されない。
が、仕事内容は面倒な案件ばかりになってくる。
それでいてリプレースの話を定期的に持ってくる。
元請からしたらこんな使い勝手の良い人材はいない。
元請の取締役がわざわざ本社に連絡して私の事を評価してると伝えてくれるのはありがたかったが、元請の評価がいくら上がろうが私の収入が上がる訳などない。
気が付けば骨折が完治するまでに著しく減っていた貯金もついには底をついてしまった。
そんな状況でバイクの事まで頭が回るはずもなく、気が付けばバイクを放置して1年半も経とうとしていた。
さすがにこれは自分自身が持たないと感じたので退職を申し出て無事退職。
自分の所属している会社からみたら私という社員は売り上げに全く貢献していなかった社員。
元請の会社から見たら使い勝手のよい社員。
会社には一切引き止められなかったが元請の会社には取締役や支店長から引き止められたのは皮肉でしかない。
前職の先輩の紹介で次が見付かっていたが入社前に揉めて内定取り消しなどを経て今の会社に入社する事が出来た。
細かい部分で見たら土曜日が隔週だったりと少し引っかかったりするが今までと比べたら遥かに恵まれた環境にある会社。
入社してしばらくして安定してきた時に最初に湧き出たのはバイクに乗りたいという感情だった。
すでにバイクで転倒してから2年の月日が過ぎ去っている。
その感情が芽生えた時に大型バイクの免許取得も頭を過ぎったがまずはバイクの修理。
しかし2年も放置してしまったバイクだ、車検や修理の事など色々と考慮し出した結論は買い替えた方が安いという事だった。
そこからはCBR400にするかninja400にするか悩んだが奇しくもどちらもマイナーチェンジする時期。
個人的に憧れたバイクはCBR600Rなのだが、修理ではなく買い替えを選択したことにより大型バイクの免許取得は選択肢から外していた。
今考えれば何を焦っていたのかとは思うが9月というのは今すぐにバイクを買えばバツーリングシーズンにギリギリ間に合うという時期。
今年中にバイクに乗りたいという気持ちが焦りを生んでいたのだろう。
購入する前にどちらもマイナーチェンジが発表されたがCBRは生産工場がある熊本が地震の影響で納車時期が分からない。
そしてninja400Rをしっかり乗ってあげる事が出来なかったという無念もあり、2017年モデル、オレンジ色のninja400を購入するに至った。
2018年モデルでフルモデルチェンジするのではないかという話も聞こえてくるのだが。